映画「ダイビング・ベル」参考記事・年表

映画「ダイビング・ベル」をより深く観賞するための参考記事及び年表を紹介いたします。

タイムラインで見るセウォル号事件

1994年6月 フェリーなみのうえ号竣工
2013年3月 改造され、韓国・清海鎮海運セウォル号として航行
2014年4月15日 21:00頃 仁川港から済州島へ向け濃霧のため約2時間遅れて出港

●セウォル号沈没
2014年4月16日
08:48  セウォル号事件発生
09:30  海洋警察が現場に到着、最初の申告から38分が経過していた
09:46  イ・ジュンソク船長、数百名の乗客を残し船から脱出
10:21  乗客40余名の脱出を最後に、以降誰一人として救助されず

●空白のゴールデンタイム
10:31  セウォル号完全に転覆
11:01  MBC放送、「檀園高等学校の学生338名を全員救助」と誤報を出す。京畿道教育庁が乗船していた生徒の保護者たちに同じく全員救助というメールを一斉に送信
13:04  海洋警察、青瓦台に「現在まで生存者370名」と誤った報告を出す
18:30  カン・ビョンギュ安全行政府長官、「潜水士178名を動員中」と報ずるが、実際には24名に過ぎず

●救助の遅延
4月18日 JTBC「ニュース9」にイ・ジョンイン代表が出演、ダイビング・ベルについて初めて言及する
4月20日  政府の遅い救助対応を批判し、行方不明者の家族らが6時間かけて青瓦台へ向け抗議行進
4月21日  イ・ジョンイン代表、事故現場の海域へダイビング・ベルの投入を要請するが海洋警察はこれを拒否

●ダイビング・ベル投入とその挫折
4月23日 一部の民間潜水士らが、海洋警察の非協力的態度を批判し捜査から撤退する
4月24日 行方不明者の家族ら、対策本部へ抗議訪問しダイビング・ベルの投入を要求
4月24日 キム・ソッキュン海洋警察庁長がイ・ジョンイン代表へダイビング・ベルの投入を要請
5月1日 ダイビング・ベル、2度の事故現場接近を試みるも失敗、その後再び投入を示度する
5月1日 イ・ジョンイン代表、事故付近海域から自主撤収

●「4.16特別法」制定の要求へ
4月29日 朴槿恵大統領、閣議で謝罪。非公開で行われたため、遺族からは批判の声

5月6日 「4.16セウォル号犠牲者/失踪者/生存者家族対策委員会(以下、家族対策委)を結成。民間潜水士1名死亡、遺族らが「セウォル号特別法」の制定を要求する
5月8日 セウォル号事故を交通事故に例えたKBSキム・シゴン報道局長のTV発言に対し、遺族らがKBS本社へ抗議訪問

5月19日 朴槿恵大統領、国民に向けた談話を発表。救助活動の事実上失敗を認め、海洋警察の解体を明言。海洋警察が管轄していた捜査と情報昨日は警察庁に移され、海洋救助、救難、海洋警備分野は新設する国家安全庁へと移譲される

●真相究明を求めて
7月8日 事故当日、朴大統領の動向が7時間にわたって不明であることが報道される

7月9日 セウォル号惨事国民対策会議が「4.16惨事の真相究明及び安全な社会建設のための特別法」請願書を国会へ提出
7月14日 セウォル号家族対策委員会がハンガーストライキへ突入
7月22日 セウォル号運行会社社長で、脱税や横領の容疑がかかっていたユ・ビョンオン氏の遺体が発見される

7月25日 国家情報院がセウォル号の購入と増改築に深く介入していた状況が含まれる文書が発見される

8月14-18日 熱狂的な歓迎のなか訪韓したフランシスコ教皇が、ハンガーストライキ中のセウォル号遺族と面会し慰労する

8月28日 46日間に及ぶハンガーストライキを敢行した遺族キム・ヨンオ氏(「ユミンのパパ」と市民たちに呼ばれる)が、健康上の理由で断食中断
9月17日 パク・クネ大統領、4.16特別法の核心内容(独立した調査委員会による捜査権・起訴権)を拒否する

10月31日 与野党、セウォル号3法(4.16特別法・政府組織法・犯罪受益隠匿規制処罰法(ユ・ビョンオン法))一括妥結

11月7日 セウォル号3法(4.16特別法・政府組織法・ユ・ビョンオン法)、国会本会議を通過するも、遺族らが要求した「独立機関である特別調査委員会に調査権・起訴権を付与する」条件が反映されず、真相究明への大きな課題を残す

2015年3月27日 政府は、セウォル号特別調査委が事前に提出したセウォル号特別法施行令案を無視する形で、海洋水産部による施行令案の立法を予告。特別委員会の独立性が大幅に制約される法令案だと、家族対策委や市民団体が猛反発

4月2日 政府の施行令立法予告と足並みをそろえるように、メディアは遺族らが「惨事を機に高額な補償金を要求している」といった偏向報道。遺族らは光化門広場と安山の焼香場の前で抗議の剃髪式を行い、政府施行令の廃案、船体の安全な引き揚げ、賠償交渉の全面中断を訴えた

4月18日 セウォル号惨事1周年の追悼行事。遺族・市民らが政府施行令の即時廃案を訴えデモ行進するが、警察は水鉄砲、催涙液を使って制止、100名余りが連行される

4月22日 海洋水産部、船体の引き揚げ決定の通知(8月、上海の民間会社が引き揚げ業者に選出される)

5月6日 政府は遺族・市民らの反対を押し切ってセウォル号特別法施行令を強行採決。

9月23日 家族対策委、真相究明のための国家賠償請求訴訟を行うと発表

11月12日 最高裁判所、セウォル号船長に無期懲役、船員14名に懲役1年6カ月~12年を宣告

12月14日 特別調査委員会による第1次聴聞会が3日間にわたり開かれる

2016年2月21日 家族対策委、特別調査委の活動を保証するための「4.16特別法一部改正案」を政府へ提出。特別調査委の活動期限の延長と、船体の引き揚げ作業における精密な調査権の付与などを訴える

3月28日 特別調査委員会による第2次聴聞会が2日間にわたり開かれる

★参考資料 「降りられない船」(ウ・ソックン著 古川綾子訳 2015.CUON)、ダイビング・ベル韓国版報道資料、ウェブサイト「4.16連帯」の4.16家族協議会ページ 

「ダイビングベル」から「ボイコット」まで…釜山映画祭への外圧論議史

一寸先も見通すことができない霧の中だ。昨年二十歳を迎えたが、無事21歳を迎える前に論議と葛藤で汚された。世界的にも認められている釜山国際映画祭(以下、釜山映画祭)の話だ。

20年続いた釜山映画祭は、これまで大きな問題はなく成長を重ねてきた。国内で開催される映画祭にもかかわらず、アジアを越えて全世界の映画人達にも愛された。2014年のドキュメンタリー映画「ダイビング・ベル」の上映前まではそうだった。

以後、本格的に釜山映画祭と釜山市及び政府側との葛藤が始まり、映画関係者たちは、今年の釜山映画祭を「ボイコット」するに至った。独立性と自律性が損なわれると、映画祭に参加しないという意志を表明したものである。

「ダイビング・ベル」上映から2年、いったい、釜山映画祭に何が起こったのだろうか。

◇ 「ダイビング・ベル」なぜ上映したらダメ? 「表現の自由」論議

2014年のドキュメンタリー映画「ダイビング・ベル」が釜山映画祭ワイドアングルドキュメンタリーショーケース部門に招待された。釜山市は映画祭組織委員会に上映中止を要求した、映画界をはじめとする市民団体は理解できないと反発した。正当な審査を経て選ばれた映画の上映を中止させる行為は、厳然たる「表現の自由」の侵害であるということであった。
「ダイビング・ベル」は、公開当時話題を集めた。セウォル号の惨事当時、“ダイビング・ベル“投入の議論を通して、政府とメディアの真実隠蔽を扱ったドキュメンタリーであるため、「問題作」とも言えた。

しかし、映画祭では、問題作だからといって上映しないという理由はなかった。出品作に対する多様性と自律性の保証は、どの映画祭も備えるべき基本的な徳目である。政治的外圧に揺れる瞬間、しっかりと積み上げてきたアイデンティティが壊れる可能性もあった。

釜山映画祭は、上映作品の選定は、プログラマ-の固有の権限であるため、釜山市の要請を受け入れることができないことを明らかにした。
結局、映画界と市民団体の間に釜山市は「ダイビング・ベル」上映中止要求を貫徹させることができなかった。観客はその年開かれた第19回釜山国際映画祭で「ダイビング・ベル」を見ることができたが、本格的な葛藤はここからが始まりだった。

◇ 審査では最優秀の評価…奇妙な予算削減

昨年5月、釜山映画祭に青天の霹靂のようなニュースが伝えられた。映画振興委員会(以下、映画振興委員会)で国庫支援予算を半減レベルに削減したのである。

自然と「ダイビング・ベル」の上映への政治的報復ではないかという疑惑が後に続いた。

映画振興委員会側は釜山映画祭が自生力を育てなければならず、7回以上国費支援を受けた国際的なイベントは、政策上サポートを受けにくいと明らかにした。

しかし、映画振興委員会の審査評価議決書は、疑惑をさらに深めた。

釜山国際映画祭は、その年、映画振興委員会の審査対象9つの映画祭で全体1位を占めた。国庫支援を受ける7つの映画祭の中で、参加国、上映映画、観客数などがはるかに多かっただけでなく、唯一、実績が向上された映画祭であった。

当時の国会議員側の調査によると、釜山映画祭は、総予算対比国庫支援金の割合が11.8%で国庫支援国際映画祭の中で最低を記録した。 「自活力を育てなければならない」は、映画振興委員会の主張とは異なり、すでに十分自生力を備えた状態であった。

「7回以上のサポートが難しい」という理由も例外ではなかった。文化体育観光部側でのイベントの特性を考慮して、10億ウォン以上の継続的な支援が必要な場合には、財政当局と別途協議を推進することができているという反応を見せたためだ。

映画祭執行部が「予算を減らしてでもプライドを守る」と約束したように、第20回釜山国際映画祭は、派手では無かったが、屈せずに成年期を迎えた。

 強力な監視とイ・ヨングァン前執行委員長告発


昨年、釜山映画祭は、監査員から大々的な会計監査を受けた。釜山映画祭の関係者によると、通常2ヶ月で出る監査結果が5ヶ月も遅れて出た。

監査院は、これにより、イ・ヨングァン前執行委員長と前•現職事務局長が虚偽の契約で、第3者に協賛仲介手数料を不正支給したことを摘発した。

続いてすぐ、釜山市の攻撃が続いた。釜山市は三人を検察に告発し疑惑が解消されなければならないと強調した。また、「地方自治団体が監査員の処分結果には逆らえない」と付け加えた。

しかし、映画祭の関係者は、これを「ダイビング・ベル」の上映の「標的監査」と「報復性告発」と見た。

釜山市は9月末に監査結果を受けたが、釜山映画祭に通知すらしておらず、改善策を用意しろとしながら直•間接的にイ前委員長に辞任を要求したという事である。この前委員長と映画祭側は「標的監査」の結果に応じ辞退を収容することはできないと拒否した。

公平性の問題も存在した。似たような指摘を受けた他の文化機関は、注意や還収措置程度の行政処分にとどまった。ところが、唯一監査員から釜山映画祭を捜査機関に告発するよう要求し、釜山市はまた、これを強行したという説明だ。

釜山映画祭側は、監査員が問題視した協賛仲介手数料不正支給については、「協賛仲介活動を証明する資料が不十分な部分と、いくつかの行政錯誤による過失を指摘した」とし「協賛誘致またはブローカーに一定の金額の手数料を与えることは通常の慣行的なことである。協賛金誘致及び管理に関する行政全般は釜山市の監督を受けて指示に従って処理してきた」と明らかにした。

度重なる外圧論議に、先月ソ・ビョンス釜山市長は釜山映画祭組織委員長辞任の意思を表明した。同時に任期が終わるイ・ヨングァン前執行委員長を再委嘱せず、事実上、イ前執行委員長は解職された状態だ。

 新規諮問委員68人が資格不適切?映画関係者たち“ボイコット“反発

イ・ヨングァン前執行委員長は、釜山国際映画祭が世界的映画祭に成長するのに大きな力となった人物として評価されている。

彼は昨年から執行委員長になった俳優カン・スヨンとの共同体制を維持していた。それとともにカン委員長が無理なく映画祭を運営することができるまで、その場に留まると宣言した。

カン委員長が力強くの最初の映画祭を乗り越えたことを考えると、釜山映画祭を支えていた一つの軸が崩れたわけだ。

まだ希望は残っていた。委嘱された新規の諮問委員68人が自律性•独立性を確保するため、定款改正とイ・ヨングァン前執行委員長再任などを議題とした臨時総会を開いた。

しかし、釜山市は、本格的に釜山映画祭を批判しにでた。ソ・ビョンス釜山市長は、臨時総会要求を受け入れることができないという立場を明らかにし、「資格のない人が映画祭を左右している」と不快感を表わした。

地域葛藤を引き起こすであろう発言もあった。釜山映画祭側が首都圏の映画人達を動員して映画祭を揺るがしているという話であった。釜山市はこれに加えて、裁判所に諮問委員効力停止仮処分申請まで出した。

今回は、映画関係者が立ち上がった。釜山映画人連帯の声明発表に続き、釜山国際映画祭を守る汎(ボム)映画人の緊急対策委員会(以下、汎映画人の非常対策委)は、最初から“ボイコット“を宣言した。

汎(ボム)映画関係者非常対策委員会は21日、「釜山市が映画祭の自律性と独立性を引き続き否定するなら映画人達は、今年釜山映画祭参加を全面拒否するだろう」とし「結者解之(自ら起こした過ちは自ら解決)」をする時が、最終的に切迫であるか。釜山市が予算支援を理由に映画祭を自分の専有物とするなら、釜山のレッドカーペットは、20年ぶりに空になるだろう」と警告した。

③【主張】映画<ダイビングベル>-解釈と表現の自由こそが民主主義だ-

スクリーンでは容易に観ることがのできない様々な映画に出会え、映画人と観客との疎通の場となる点で、釜山国際映画祭は「文化人の内的成長まで図る映画祭」という絶賛のもと、アジアの代表的映画祭に成長した。しかし、このような釜山国際映画祭が、このところ内紛で疲弊している。

事態の始まりは、2015年の映画「ダイビングベル」の上映問題をめぐる釜山市と映画関係者間の葛藤だった。 「ダイビングベル」は、セウォル号惨事当時‘ダイビング・ベル’という深海での救助機器を使い学生を救出しようとした専門潜水士イ・ジョンインさんを取材したドキュメンタリーだ。釜山市は、まるで映画が政府と海洋警察が故意に学生を救出しないかのよう偏向的に描写し政治色を帯びているという理由で上映を制止した。しかし、映画関係者の団結で、2015年釜山国際映画祭での「ダイビングベル」が上映された。

その後、映画祭は支援金が半減し、執行委員長の再任が不透明になる等、受難の時代を迎えることになる。釜山市は未だ「世界的な映画祭」に「偏向的政治色」が入ってはいけないという意を固守し、釜山国際映画祭が自ら覚醒することを促している。しかし、彼らの主張には、二つの抜け穴が存在する。

-映画は、決して嘘じゃない…より多様な映画を受け入れなければ

救助作業に関する判断を下すのは、完全に海洋警察の役割である。ダイビングベルが救助に有用であると考えた場合、彼らはダイビングベル投入にすべての総力を傾けなければならず、役に立たないという確信があったなら、そもそも入水自体を防がなければならなかった。ダイビングベルの実効性に関する議論を離れ、コントロールタワーになるべき海洋警察が右往左往して「入水の許可と反対」の間を行き来する姿自体が叱咤を受けて当然である。映画監督は、記者や教師ではない。

彼らはいつも徹底した政治的中立を守らなければならない必要はなく、自身の眺める国の失策を映画で表現し批判する自由がある。これ以上表現の自由を抑圧せず、映画を介して明らかになった「災害対応不良」の責任を痛感するのが正しい民主国家の姿勢だとすることができるのではなかろうか。

第二に、個人は映画をもとにいくらでも自分だけの方法を考える存在だ。映画に込められた内容は同じでも、それを受け入れる個人の姿勢は千差万別である。同じ<ダイビングベル>を見ても、誰かは、国のコントロールタワー不良を、誰かはイ・ジョンイン代表の技術力、他の誰かは追悼に焦点を合わせ見つめることができる。

“政治的見解が偏重されるかもしれない”という名分の下、上映の機会自体を剥奪することは、国民を「文化を楽しむほどのレベルを確立していない存在」と蔑むようにしか見えない。もし映画の中の「事実の歪曲」があったなら、根拠を聞き堂々と修正を要求することが当然であり、 “政治的偏向”という曖昧な理由で支援金を半減し委員長を解任するなどの自国の文化産業の発展を阻害する態度は決して正しくない。

文化は違いを美しく見る視線と、何でも言うことができるという原則の中だけで花咲く事ができる。世界を見る視線がそれぞれ異なり主張することが違うから、このような世界が生み出す文化もまた、美しい。その美しさが毎年釜山国際映画祭を通じて花咲き、多くの人を魅了させてきbaたではないか。大韓民国が本当の意味の文化先進国として生まれ変わるため、備える必要がある文化とは何なのか、釜山市は真剣に悩んでほしい。

★出典:オーマイニュース記事「釜山国際映画祭、釜山市が錯覚した2つの問題点」(モク・ソンジェ記者、2016年4月11日)を翻訳(翻訳:任炅嬉/韓国在住・映画ウォッチャー)